田上大喜さんの蚊の研究は素晴らしいと思うし、本人も素敵な少年でした。
きっと将来はすばらしい学者になるでしょう!
それとは別に虫が苦手なわたしは思います。
蚊は生きるために血を吸いに来ているだけで殺しにきているわけではないのでなぜ撲滅されるのか、可哀そう…
という視点。
実際には一番人を殺すのは蚊とのこと。
次が人で、その次が蛇など。犬も5番目くらいだったのはびっくり!
ネコは入っていなくてうれしい ♪
ま、闘犬もいるし、番犬もいるから、わからなくもない。
地球上で神の前では平等だと思うのですが、人にとっては蚊は敵だから本能的には自分が生きるのが優先だから仕方ないとわたしは思うし、地球の連鎖の問題でも蚊っていなくてもいいと思うのだけど。
ブータンでは蚊もハエもみだりに殺さない、というし。
わたしは平和主義だから、お肉は食べられない、だからその発想はわかる…
でも、たまにお魚は食べる…と、複雑な気持ちになる…
ところで…
でもこれがクマだったら共存の道はないのか?と思う。
では、クマと蚊はどこが違うのか?
蚊は殺しても可哀そう、と感じないけれど、
熊は可哀そうと思う…なぜ?
同じ哺乳類で熊も私と同じように生きる権利や仲間や親兄弟がいるのが想像できるから。
蚊は人にマイナスしかないけど、熊は山奥にいれば問題ない気がするし、人は山奥には熊の領域と思って入らなければいいのかな?とか。
要するに、わたしはそれぞれの生き物がお互い接触なく自由に生きているか、仲良く共存するか、どちらかでいたいのだ。
わたしが最もかわそうな生き物は実験動物と家畜だと思っている。次が動物園の動物。
野性の動物を狩で人が食べるのは、仕方ないのかも?お互い自分が生きることが優先だから…しかし、家畜はあまりにも可哀そう。
この感覚はどこから来るのか?
今まで見たこと、学んだこと、経験したことのすべての集大成と、持って生まれた遺伝子などからなのでは?と思う。
生きることそのものがが他社の命を奪うこと。
命のないものは栄養にならないのが事実。
では植物ならいいのか?
動物とは違う気もする。
蚊はマイナスしかないのは、人にとってだからわたしの勝手な考えだけど、
でも、わたしは神さまの立場で生きているのではなく、
必要最低限は、わたしの立場で考える…
それ以上の欲張りは神の目ではどうかな?と客観視してみる…
また、コメンテーターの方が、『血は痒くなければ吸われてもいいと思うけど、』というのもびっくり、
わたしは吸われたくない。
例えばわたしが畑に野菜をつくっていたら、すずめなどはそのうちの1.2割なら食べられてもいいけれど、全部食い散らかさないなら、と思う。
食べ物がないのはかわいそうだから。
でも、蚊に血は吸われたくない、気持ち悪いから。
ヒルなんか最高に気持ち悪い!
地球上からいなくなってほしい、と思う。
だから、わたしはヒルのいる、南国には住めない。
万一そこに生まれても絶対引っ越すと思う。
ヒル除けスプレーでは対処できない、
自分が引っ越して親類がそこに住んでいたら、車で行って家の外には出ないで過ごし、車で帰ると思う。
つまり、生きるってほんとうに何が正しいか、なんてわからない。
人としての正常レベルとか、範囲とかは常識としてあると思うけれど。
もし個の存在で神様がいるなら恐ろしく怖い
わたしは直接対面したら好きにはなれないと思う。
愛する神様…なんてお祈りはできない、
それとも、わたしはお魚食べた、だから今度は誰かのエサになってあげよう、と事実の全てを受け入れられるのだろうか?
けれど、神という存在は個ではなく全ての存在が醸し出すエネルギーの渦の力のようなものではないかと思う…
神様って実は、すべての物質や生き物のエネルギーのせめぎ合いから起こる現象のように思う。
虫もお花も木も、猫も人もすずめも、熊も象も、海も風も宇宙空間も、太陽も他の星も。
海は思考している…というのをテレビで見た時も…わかるような…
だから正しいか間違っているかという決まりはそのコミュニティでのこと…ではないのかと思う。
だから謙虚であることは大切だと思う。
正しくどこにも誰にも迷惑かけずになんて生きられないから…
とにかく、この世の現実はあまりにも不思議!???